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国民教育運動と共闘の展開の紹介


by kokuminkyoutou

 あとがき

 あとがき

戦後の和歌山具における、国民教育運動と共闘の発展のあとをふりかえるとき、そこには、幾多の挫折と停滞をへながらも、全体として、統一戦線が次第に拡大強化している姿を、われわれは、はっきりとつかみとることができた。
 だが、われわれが書き残した点、十分に究明しえなかった点も多い。
 まず、第一にいわなけれほならぬことは、われわれの共通の問題意識が、「勤評闘争に焦点をあわせる」ということであったため、勤評闘争以後、とくに安保闘争の過程で、飛躍的に発展してきた国民的統一戦線の諸筋芽については、各章で、断片的に触れてはいても、全面的にはその姿を明らかにできていないということである。
 この点について、ここでその特徴的な動きについてだけでも、概観しておこう。
昨年(六〇年)の、はげしい安保闘争の高揚の渦中で、和歌山県でも、「安保改定阻止和歌山県民会議」が組織され、郡市には、四〇の「安保共闘会議」がつくられた。(橋本市・伊都都…二、那賀部…三、和歌山市…二、海南市・海草郡…五、有田市・有田郡…六、御坊市・日高郡…六、田辺市・酉牟要郡…九、新宮市・東牟婁郡…七、 六〇年六月二六日現在)。これらの共闘組織は、もちろん勤評闘争における共闘組織の発展したものではあるが、勤評闘争当時にくらべて、はるかに政治的に質の高い、恒常的な、地域に根をおろしたものに変わってきている。それらの組織は、現在でも、二・三の組織をのぞき、安保体制打破を中心として、独立・平和・民主主義・生活向上をめざす事実上の統一戦線の中核体として、住民のもろもろの要求をとりあげてたたかう恒常的組織になりつつある。
 このような国民的統一戦線の結成のうごきを基礎として、労働戦線では、ここ数年来、産業別労働組合結成のうごきが強くなり、そのあらわれとして、昨年から今年にかけて、産業別共闘組織が発展し、国公協議会(地評に加盟するしないをとわず十二の国公労働者組織を含む)がつくられた。このような動きのなかで、大阪における「衛都連」の闘争の影響もあって、市職、町職といった自治体労働者の組織化と闘争が、急速に高まりつつふある。
 橋本市では、六〇年春から、市職組の一率五千円アップの闘争が、教組・解放同盟・勤労者会・母親の会との共闘のなかでたたかわれ、八・八勧告以後もこの目標をかかげて、ついに十二月はじめ、平均四、一五〇円の賃上げをかちとった。同じような動きが、新宮市、海南市でもみられたが、とくに橋本市職組は、学テ闘争のときには、事務拒否をもって、テスター拒否をした教組のたたかいを支援した。こうした自治体労働者の運動を基礎として、和歌山県下約一万人の自治体労働者を結集して、地公労を結成しようという運動がようやく高まりつつある。
 つぎに、特徴的な点は、農民をはじめ、未組織労働者の組織化の発展ということである。農民組合結成のうごきについては、第Ⅱ章末尾でふれたが、現在、西牟婁郡では、六〇〇名が山林労働組合に組織され、日高郡、竜神村では、二〇〇名が山林労働組合に組織された。また、白浜町を中心に、ホテル従業員の組織化(約一、〇〇〇人)、幼椎園保母の組織化、中小鉄工労働者の組織化がすすみ、有田では、除虫菊臨時工組合の結成、農協従業員組合結成といった動きがあり、漁民についていえば、昨年、有田市辰力浜に、四〇〇人の漁船船子(カコ)組合がつくられ、東牟賓郡勝浦では、紀南労協の援助で、和歌山県遠洋漁船船員組合(約九〇〇人)がつくられた。
 ところで、注目すべきことは、こうした未組織労働者の組織化の発展のなかで、和教組の活動家の果している役割がきわめて大きいということである。和教組には、八つの支部に教育会館があり、そこにほ、地区労の事務所があって、支部役員が地区労の議長、事務局長といった重要な仕事を大半ひきうけ、積極的に活動しており、下部組合員もこの活動を支援している。このことの意義は大きい。勤評闘争のなかで教師が学んだ一つの教訓、教育反動の嵐は教師だけの力ではふせげない、地域に強大な統一戦線をつくりあげねほならないということが、いまこのようなかたちで発展しているのだといえよう。 
 つぎに、部落解放運動の最近のうごきをみると、そこにも注目すべき発展があらわれてきている。すなわち、六一年にはいってから、いままでの部落解放同盟中心の運動がしだいに克服され、労組・民主団体が中心になって、地域に如何に統一戦線を発展させるかという観点から、部落解放要求貫徹請願運動が積極的にとりくまれた。そのなかで、未組織の部落に解放同盟の支部をつくることが、組織労働者にとって、みずからを解放するためにも欠くことのできない任務であることが自覚されるようになり、労働組合と解放同盟との統一行動が前進してきている。かくして、請願運動実行委員会(六一年八月紆成)が中心となって、むこう二カ年問に、一万人の解放同盟を県下に組織する総合二カ年計画が立案されるにいたった。そして、六二年、一月から二月にかけて、活動者会議が予定されており、そこでは、解放同盟から六〇名以上、教組二般労組から六〇名以上の代表が集まり、各地の経験を総括し、今後のより具体的な組織方針を検討するほこびになっている。
 以上の一連のうごきをみてもわかるように、安保闘争以後、和歌山具における各種共闘と統一戦線は、ますます発展してきているのだが、しかし決定的な弱点は、基幹産業労働組合を中心とする民間労組の停滞であり、そこにおける革新政党の影響力の弱さである。この弱点の寛服が、今後どのようにすすむかが、和歌山県における国民的統一戦線発展の鍵を握っているともいえる。

 第二に、われわれが書き残した重要な問題は、勤評闘争以後、和教組に加えられた権力の攻撃の特徴と、これにたいする教組の対応である。
 ごくおおまかにいえば、その後教組に加えられた攻撃は、組合幹部の首切り(和教組七名高教竺名)、専従不許可、互助組合をめぐるいやがらせといった、大上段にふりかぶった攻撃というところに特徴があり、愛媛県にみられるような、地域反動の組織を通じての、組織破壊浸透工作はきわめて弱いということである。勤評闘争のときにつくられた、教育父母会議といった地域の反動諸組織は、その後、系統的、恒常的な活動を展開してはいないのである。こうした状況のもとで、専従裁判は、第一審・第二審とも教組側の勝利となり、権力側はいまや、「教育の正常化」のスローガンのもとに、教組とも話しあおうという、ソフトな態度を、一面ではみせはじめてきている。
そして、形式的には首切り専従とは話しあえぬということを固執しながらも、実質的には、教組との団交にも応じはじめてきているのである。だが、われわれが注意しなければならないことは、右手にコーラン、左手に剣といわれるように、この柔軟な政策が、他面では、学テ闘争のとき、高教組に加えられた弾圧にみられる狂暴な政策と不可分のものであるということである。
第三に、われわれが十分究明しえなかった問題点としては、国民運動のなかで育つ、民主的な国民教育それ自体の姿は、かならずしも明らかになってはいないし、運動と教育実践とのかかわりについての理論的究明も、十分に展開されたとほいえないことである。
ただここで附記しておきたいことは、われわれが統一戦線とそのなかで育つ国民教育ということを極力強調したにしても、そのことは、運動の発展が、おのずから教育実践の質をたかめるとはいっていないということである。そこには、正しい文化遺産の継承と、日一日と発展する科学についての認識と、研究方法の修得が、欠くことのできない問題として結びついていることを忘れてならない。だが、この点の究明は、われわれとしては、今後の課題として残さざるを得なかったのである。

       一九六一年十二月
    共同執筆者
       大井 令雄
       土肥 秀一
       西   滋勝
       南   清彦
       山本 正治
       渡辺 広

by kokuminkyoutou | 2015-12-24 10:30