民主教育資料
☆リンクしたブログ「個人実践集」に中山ゆたか先生の実践をいれました
☆「同和教育・部落解放」には、「八鹿高校事件40周年」で寄稿したものを
いれました。
「同和教育終結」の駒井論文などいれたいと思います。
☆ 和歌山の民主教育の歴史のブログをつくって、楠本一郎氏の論稿をいれるつもりでいます。、
いろいろなブログをつないでいきたいとおもっています、
解題「国民教育運動と共闘の展開」
国民教育研究所・和歌山県研究者集団
1 国民教育研究所は、1957年(勤評闘争前年)に和歌山で開かれた日教組大会で設立が決議された。「研究所」は、勤評闘争の直後に、和歌山・高知・岩手・山形・千葉・宮崎6県を選んで、地域と教育闘争についての集団的研究を組織して、それぞれ一冊の本にした。(6県研究とも呼ばれる)和歌山のものが「国民教育運動と共闘の展開」であり、その出版は、1962年である。「目次」は、…
はじめに 国民教育研究所長 森田俊男
第Ⅰ章 和歌山県における統一戦緑と共闘の発展
第Ⅱ章 和歌山県における勤評闘争
第Ⅲ章 部落解放運動と責善教育
第Ⅳ章 地域の産業構造の変化と教育
あとが 共同執筆者(大井令雄、土肥秀一、西滋勝、南清彦、山本正治、渡辺広)
2 森田俊男氏の「まえがき」を除いて、全章が、6名の共同執筆者の共同責任でかかれているという「研究者の共同・組織化」ができていることに注目しておきたい。それぞれ専門がちがう学者がここまで「共同執筆」ができたのは、勤評闘争で、「講師団」としてたたかいの烈火で鍛えられたことを抜きに考えることはできない。
第一章冒頭で「海草郡初島町、西牟婁郡朝来村…の長期にわたる調査を中心にして…県全域でたたかわれた勤評闘争の経験を集約した」とのべ、「あとがき」では次のようにいう。
「まず、第一にいわなければならぬことは、われわれの共通の問題意識が、『勤評闘争に焦点をあわせる』ということであったため、勤評闘争以後、とくに安保闘争の過程で、飛躍的に発展してきた国民的統一戦線の諸萌芽については、…全面的にはその姿を明らかにできていない」ここから「勤評闘争に焦点」を合わせながらその分析の視点は、その後の安保闘争の教訓にたった「統一戦線への発展」にあると読み取ることができよう。
4 「共闘の展開」を読み返してみて、未解放部落をはじめ県民のの産業・生活実態など、リアルに把握してかかれていることは驚くほどである。また労働組合運動についても、「東燃労組の脱皮」など、こんなことがあったのかと驚かされることもある。学力テスト反対闘争での和教組の方針への辛辣な批判もある。また岩尾覚氏が校長であった初島中学校の学校づくりの紹介は新鮮である。個々の問題での評価は「研究課題」としなくてはならないが、この時代にここまで突っ込んだ「共同研究」は、宝物といわなくてはならない。
本書はすでに絶版になっており、「和歌山民研」でご覧いただける。ほぼ全文、ブログに掲載されているので「国民教育運動と共闘の展開」で検索するか、http://kokumin111.exblog.jp/でご覧いただきたい。
和歌山の民主教育の遺産を紹介するブログです。
このブログには「国民教育運動と共闘の展開」[掲載途中](まだまだ誤字がすくなくないのでご注意ください))
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集団討議を経て、「運動史部会」に組み入れられればと思っています。
(雑賀光夫)
民研・教育運動史部会
☆リンクしたブログ「個人実践集」に中山ゆたか先生の実践をいれました
☆「同和教育・部落解放」には、「八鹿高校事件40周年」で寄稿したものを
いれました。
「同和教育終結」の駒井論文などいれたいと思います。
☆ 和歌山の民主教育の歴史のブログをつくって、楠本一郎氏の論稿をいれるつもりでいます。、
いろいろなブログをつないでいきたいとおもっています、
解題「国民教育運動と共闘の展開」
国民教育研究所・和歌山県研究者集団
1 国民教育研究所は、1957年(勤評闘争前年)に和歌山で開かれた日教組大会で設立が決議された。「研究所」は、勤評闘争の直後に、和歌山・高知・岩手・山形・千葉・宮崎6県を選んで、地域と教育闘争についての集団的研究を組織して、それぞれ一冊の本にした。(6県研究とも呼ばれる)和歌山のものが「国民教育運動と共闘の展開」であり、その出版は、1962年である。「目次」は、…
はじめに 国民教育研究所長 森田俊男
第Ⅰ章 和歌山県における統一戦緑と共闘の発展
第Ⅱ章 和歌山県における勤評闘争
第Ⅲ章 部落解放運動と責善教育
第Ⅳ章 地域の産業構造の変化と教育
あとが 共同執筆者(大井令雄、土肥秀一、西滋勝、南清彦、山本正治、渡辺広)
2 森田俊男氏の「まえがき」を除いて、全章が、6名の共同執筆者の共同責任でかかれているという「研究者の共同・組織化」ができていることに注目しておきたい。それぞれ専門がちがう学者がここまで「共同執筆」ができたのは、勤評闘争で、「講師団」としてたたかいの烈火で鍛えられたことを抜きに考えることはできない。
第一章冒頭で「海草郡初島町、西牟婁郡朝来村…の長期にわたる調査を中心にして…県全域でたたかわれた勤評闘争の経験を集約した」とのべ、「あとがき」では次のようにいう。
「まず、第一にいわなければならぬことは、われわれの共通の問題意識が、『勤評闘争に焦点をあわせる』ということであったため、勤評闘争以後、とくに安保闘争の過程で、飛躍的に発展してきた国民的統一戦線の諸萌芽については、…全面的にはその姿を明らかにできていない」ここから「勤評闘争に焦点」を合わせながらその分析の視点は、その後の安保闘争の教訓にたった「統一戦線への発展」にあると読み取ることができよう。
4 「共闘の展開」を読み返してみて、未解放部落をはじめ県民のの産業・生活実態など、リアルに把握してかかれていることは驚くほどである。また労働組合運動についても、「東燃労組の脱皮」など、こんなことがあったのかと驚かされることもある。学力テスト反対闘争での和教組の方針への辛辣な批判もある。また岩尾覚氏が校長であった初島中学校の学校づくりの紹介は新鮮である。個々の問題での評価は「研究課題」としなくてはならないが、この時代にここまで突っ込んだ「共同研究」は、宝物といわなくてはならない。
本書はすでに絶版になっており、「和歌山民研」でご覧いただける。ほぼ全文、ブログに掲載されているので「国民教育運動と共闘の展開」で検索するか、http://kokumin111.exblog.jp/でご覧いただきたい。
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by kokuminkyoutou
| 2016-08-25 15:56